當麻寺
本堂(曼荼羅堂)
當麻寺
當麻の名を知らせる名刹で、二上山のこんもりとした樹影を背景に静かなたたずまいを見せてます。用明天皇の皇子麻呂子王が推古天皇二十年(六一二)に河内に建てた万宝蔵院に始まりその後天武天皇白鳳十一年(六八一)に麻呂王子の孫當麻国見が現在地に移してこの地方の豪族當麻氏の氏寺として整備したと伝えられています。金堂、講堂が南北に一直線に並び金堂の南方両側に東西二つの三重塔が建ちさらに本堂、薬師堂、仁王門などが独自の伽藍配置で建ちならんでいます。とくに古代に建立された東西両塔が完備している姿は全国でも當麻寺だけとして有名です。宗旨としては初め三論宗を奉じていましたが弘法大師が参籠してから真言宗にかわり鎌倉時代には浄土宗の霊場ともなり以後現在まで真言浄土の二宗を併立し八ヶ寺塔頭(寺院)よりなる珍しいかたちになってます。また金堂にある弥勒仏坐像や日本最古の梵鐘をはじめ数多くの貴重な寺宝を今に伝えており国宝・重要文化財に指定されているものも少なくありません。ボタンの名所としても有名で四月下旬より境内にはボタンの花が咲き誇り落ちついた雰囲気に色をそえています。五月十四日には、中将姫ゆかりの”練供養”が行われ全国からも集まった三詣者たしで境内は大変なにぎわいとなります。
                                                       葛城市観光協会
仁王門
金剛力士(吽形) 金剛力士(阿形)
すばらしい藤棚です
中の坊 中将姫 御らいこうの松
白鳳時代に作られた日本最古の梵鐘 白鳳時代に作られた日本最古の石燈籠
中将姫

中将姫は右大臣藤原豊成公(藤原鎌足の曽孫)の娘として奈良の都に生まれ、いろいろな迫害をのりこえ十六才の時に當麻寺に入り尼僧となられる。娘の深い信仰と仏様の加護により、天平宝字七年(七六三)六月二十三日蓮の糸で當麻曼荼羅を織りあげられ、二十九才の春に二十五菩薩の来迎をうけ極楽浄土に往生されました。この姫の物語は、謡曲・古浄瑠璃・歌舞伎などにも演じられ多くの人々に語られてきました。當麻曼荼羅(たいままんだら)は、現在當麻寺のご本尊として祀られ、「蓮糸大曼荼羅」「観無量寿経浄土変相図」としてよばれ、西方極楽浄土の有様を現されたものです。
中将姫
當麻寺東塔
當麻寺西塔